「上座部仏教」と「大乗仏教」

仏教は、お釈迦様の教えをそのまま実践する「上座部仏教」と、お釈迦様の死から数百年後に作られた大乗経典を採り入れた「大乗仏教」のふたつに大きく分類されます。そのうち、6世紀半ばの飛鳥時代に日本に伝来したのが大乗仏教でした。

奈良時代に入ると、仏教は学問的な要素を強め、経典の研究が盛んに行われるようになります。また、国家の庇護を受けて国家安泰のための祈祷を行うなど、仏教僧は権力を増していきました。それに危機感を覚えた桓武天皇は、最澄を唐に送り、新しい仏教を導入します。それが、生きるものはみな成仏できるという「本覚思想」を基本とする天台宗の始まりです。やがてそれは、念仏を唱えるという日本の仏教の主流になりました。

平安時代の末期に登場した法然は、本覚思想をさらに進め、それまで「南無阿弥陀仏」の念仏を多く唱えるほど極楽浄土に往生できる確率が高くなると言われていたものを、一回だけ唱えればよいと説きました。そして法然は、浄土真宗の元となる浄土宗を開きます。

法然の弟子となった親鸞聖人は、法然の考えをさらに進め、念仏を唱えなくても、阿弥陀如来を強く信じるだけでも成仏できると説きました。また、己を悪人(煩悩を断ち切れない者)であると自覚できたものこそ救済されるべきだとする「悪人正機説」は有名です。